5月27日に見に行った展覧会(1):「秘密ソング 菅生悠希、杉本昌之による二人展」@京都市立芸術大学 大ギャラリー
5月23日に見に行った展覧会(2):小沢さかえ+安藤隆一郎 二人展@MORI YU GALLERY KYOTO
※左画像:安藤隆一郎作品、右画像:小沢さかえ作品
小泉(義之) 他者に応答せよという命令、これは本当は、閉じこもりという応答も容れる命令なんだけれども、それが変質して、何かを放棄させるような仕方で、どこかから発せられる。犯罪についても、加害者や被害者に応答せよと命じる人が、やけに多くなってる。
矢部(四郎) 犯罪について語りたくない、言及しないっていうのは、これはやはり自然にそうなるんですよね。特に難しいことを考えて、無理にそう言ってるんじゃなくて。すごく自然に語りたくない。
小泉 それは関係ないっていうことなんですよね。犯罪と自分が関係ない。関係ないし、関係なくなるようにすべきだと思う。
矢部 そうそう、関係しちゃいけない。
小泉 しかも、実は関係していない。
(略)
矢部 関係がありたいというのはあるんでしょうね。いやらしい言い方だけど、田中美津という人が永田洋子は私だとかなんとか言って以来、◯◯は私だというのが続くじゃないですか。
小泉 あのときの田中美津にはガッカリしました。政治犯の肯定の仕方としても外していると思った。
矢部 田中が最初じゃないかもしれないんですけど、僕が知っている限り田中美津が最初で、関係したい、関係ないのに(笑)。それはあまり、褒められるものではないなと。何でだろうな、自分がそういうことをする気にはならないんですよ。例えば酒鬼薔薇は自分だ、とか言いたくないし、僕は言わないし、何でそんなこと言うんだろうと。
小泉 そんな最近の風潮って、殺人の享楽があるとした上で、なおかつその享楽を自分が抑圧している、ないしは昇華しているという物語にのっかっているとしか思えないんだよね。たまたま自分は殺人を犯さずにすんだっていう言い方は、犯罪を犯す可能性が自分の中にもあるという理屈ですよね。すると、犯罪の可能性が至るところに蔓延しているという理屈にもなって、たちまち警察的な社会観になっていく。それ全体が嘘っぱちです。犯罪者への共感にもなってない。その伝でいけば、マザー・テレサはアタシだ、アンディ・フグはオレだ、と言ったっていいわけですから。
もちろん、嘘の物語によって産出されるものはありますが、それははっきりと指させます。あそこに公安がいるとか、ここにカウンセラーが増えたとか。
矢部 逆に言えばそのためにも事件が社会に及ぼす影響という物語を認めてはいけない。
小泉 そうそう、世の中が打てば響くようになっているという物語を、必要としている連中がたくさんいるんだから。
(矢部四郎・山の手緑「高円寺ネグリ系、哲学者と殺人をめぐって激論 ゲスト・小泉義之」(『文藝』2000年冬号所収))
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最近はやりの(?)「当事者性」をめぐる議論については、十年以上前に既に答えが出てる、という(^^;
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現代茶ノ湯スタイル展「縁 -enishi 」@西武渋谷店8Fオルタナティヴスペース http://www.ava-cha.com/2011/10/04/3494



