(Source: secretotaku, via watanabe052)
あらためて刊行年を確認してみると、雑誌「provoke」が発刊されたのは1968年の11月、『来るべき言葉のために』(中平卓馬)の刊行は1970年の11月であったようだ。それらをはじめて見た当時の気持ちは比較的はっきりと思い出すことができる。
この雑誌や写真集に掲載されていた写真はその刊行時期のしばらく前に仲間内でよく見かけた種類のものであった。なので、どうしていまごろになって、しかももう青年とはいえない年齢の人たちがこのような写真を発表し始めたのだろうかという印象であった。少し前に学生写真の中で流行したこのような種類のコントラストの高い荒れたイメージは、どうしても外部を拒否して大切に自我を守っているという姿勢を連想させてしまうことが避けられないものでもあった。そのために、そのころ一般的であった気分からは自然なイメージであったとはいえ、どうしても気恥ずかしさが付きまとうこともあって流行の時期はほとんど終わったと思われていたように思う。おそらくどのようなエコールであっても、それがジャーナリズムに登場する際にはいつもピークとタイムラグがあるものなのだろう。
しかし写真よりも気になったのは使われていた惹句である。「思想のための挑発的資料」と言ったり、「来るべき言葉のために」と言ったりすることにどうしても違和感を禁じえないのであった。たしかに当時にあっては「思想」なるものは高級なたいしたものであると思われていたので、写真は高級なものであることを主張しようとしていたのかもしれない。あるいは既存の言葉ではない新しい言葉を求めているのだという主張だったのかもしれない。しかし、わたしの違和感はなぜ写真が言葉に奉仕しなければならないのかというところにあった。なぜ写真のもっと先に言葉があると思っているのか、どこからこのようなかたちの言葉へのコンプレックスが生まれているのか? ということである。
(大上真一「ささやかな記憶」(『映像試論100』第1号(Port Gallery T、2013)所収))
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